最後の晩餐

解説

イエス・キリストが十字架にかけられて殺される前夜、12弟子たちと共にとられた最後の夕食のことをいいます。レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」がよく知られていますが、この絵画は、聖書の中に書かれた、最後の晩餐の情景です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」を見つめますと、イエス様が「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」と言われ、この言葉に「ハッ!」としたユダが、慌てふためく弟子たちの中で唯一イエス様の顔をじっと見ていることがわかります。

明日、ご自身がピラト(ローマ総督)に引き渡されることをイエス様はご存知でした。12弟子の一人に銀貨30枚で裏切られたのです。その裏切り者が、このユダです。しかしイエス様はその裏切りをとめようとはせず、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」と祈りました。イエス・キリストは神ご自身だったので、この苦難をどのようにでも逃れる道はありました。しかし、天の父の御心に従い、そうしませんでした。イエス・キリストは人を愛するがゆえに、そして、私たちの罪を赦すために、自ら十字架に付けられました。

豆知識

最後の晩餐の食事メニュー

晩餐というと豪華な食事を想像されるかもしれませんが、英語では”Supper”と表現されていることからもわかるように、最後の晩餐で食べたものは実に質素な内容でした。最後の晩餐の日は除酵祭の第一日目に当たり、酵母(イースト菌)を入れないパンを食べました。酵母を入れないパンは平べったく味もあまりなく、決して美味しいものではありません。

また、最後の晩餐は、聖書では「過越の食事」と書かれており、先祖がエジプトで苦役で苦しんでいたころ、神様がエジプトに対してすべての長男を殺す災いを下されましたが、子羊の血を家の入り口に縫ったイスラエル人の家だけはその災いから免れた(過ぎ越された)ことから、それを記念して毎年ある一週間、酵母を入れないパンを食べる「過越の食事」をします。つまり、この晩餐は、自分たちの先祖がエジプトより救い出されたことへの感謝、そして、今も自分たちを守って下さる神様への感謝をもって行うものであり、必然的に厳粛なものといえます。

最後の晩餐において、イエスはパンをとって「取って食べなさい。これはわたしの体である。」と言い、また杯をとって「この杯から飲みなさい。これはわたしの血、新しい契約の血である。」と言われました。これらを飲食する者には、将来イエス様が常にともにいて下さることの約束であり、一生涯イエス様と一体で歩むことの決意でもあります。現代でもプロテスタントでは、聖餐式として行われています。

除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。(マタイ26:17-20)

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