世の中の価値観では、職業は生計を維持するために人が日常従事する仕事と解釈されていますが、聖書の価値観では、職業は神に仕えることにあります。
世の中では職業を選択するときの基準として、自分の夢を実現したり自分のやりたいことができる職業を選ぶことが多いですが、聖書では、自分に与えられた賜物を良く生かしなさいと教えています。つまり、自分が今持っていない能力を求めるのではなく、まずは自分が今持っている能力を生かして働きなさいということです。どんな人にもその人なりの賜物が神より与えられています。
ドイツ語では、職業は”Beruf”といいますが、この動詞形”berufen”には「命じる」「招く」という意味があり、さらにその元の語である”rufen”には「呼ぶ」という意味があります。つまり、職業は神から呼ばれて、あるいは命じられて行うものであるという考え方です。
イギリスからアメリカ大陸に移住した清教徒たちは、すべての職業の目的は神に仕えることにあると考えました。良き商売人とは、安く仕入れて隣人に手頃な価格で提供する人のことであり、つまり隣人に仕える人のことでありました。職業人の姿勢は何をするにしても主に仕えるようにするべきと考えられ、貧しい人や子供たちにも丁寧に商品を説明し大切なお客様として扱うようにしました。その結果、現在の大国アメリカが作られたといえます。
聖書的な職業の条件は、①生計を立てられること、②罪を犯さないこと、③社会に益となることの三つがあります。牧師の職業に限らず、この三つの条件を満たすものであれば主の前で清く聖職であるといえます。これらの条件を満たす全ての職業に従事する職業人は、どんな職業であれ誇りを持って働くことが望まれます。
一方、泥棒稼業は②③の条件を満たしませんし、乞食は③の条件を満たしませんので、聖書的な職業であるとはいえません。
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